■三人の賢者(四)
三人の賢者(三)に戻る■それでもロトの印派
*「まおうのしまに わたるには
たいようのいし あまぐものつえ
せいなるまもり
*「この3つが ひつようじゃ。
これは3のメルキドの神殿にいる老人の台詞ですが、明らかに1でロトが残したメッセージを意識したものに見えます。であれば、堀井さんの中では「雨雲の杖・太陽の石・ロトの印」が三つの神秘なる物なのでは。個人的に最も重視したいのがゲーム中テキストなので、僕としてはやはりロトの印のほうが虹のしずくよりも妥当だという気がします。
その場合、聖なるほこらのじいさんは賢者ではないのか、という話に当然戻りますが、前述のドラクエ仲間の方が提示しておられる考え方が一つの答えかもしれません。つまり、
“賢者の子孫は太陽の石の人と雨雲の杖の人と虹のしずくの人だけど、品物は太陽の石・雨雲の杖・ロトの印”
という解釈の仕方です。このような発想は持ったことがありませんでしたが、そう考えれば『冒険の歴史書』と『ゲーム』双方のテキストを無視することなく収まります。
■聖なる祠の賢者とロトの印
僕は最初は聖なる祠のじいさんは賢者ではないと考えていたので、ロトの印を託された賢者(の末裔)はいなくなったんだなと思っていました。そして次のような事実から、隠されたドラマを漠然と期待していました。
- ロトの印だけ賢者に管理されることなく毒の沼地に放置されている。
- ロトの印が落ちている場所には、かつて妖精の住む祠(精霊の祠)があった。
- 毒の沼地の面積が明らかに広がっている。
雨雲の杖や太陽の石に比べて、ロトの印はストーリーを感じさせます。ロトの印を託され賢者は精霊の祠に住んでいた妖精だったのかもしれないとか、祠がなくなっているのは魔物に襲われたからだろうとか、そのせいで毒の沼地が広がっているのだろうとか、祠が崩れ去り保管されていたロトの印だけが毒の沼地に人知れず残ったのかなとか。
さて、聖なる祠のじいさんが賢者であると考えた場合に最も不可解なのは、彼が何で託されたはずのロトの印を持っていないのか、という点だと思います。じいさんが住んでいる聖なる祠とロトの印が転がっている毒の沼地は、陸路で考えれば最も離れた位置関係。そんな場所にわざわざ赴いて、ロトの印を置いてきた(あるいは精霊の祠にいたかもしれない人物に渡した?)のでしょうか。であれば、何故そんなことをする必要があったのでしょう。
また、この謎の事態が聖なる祠のじいさんの意思によって引き起こされたのだとしたら、ロトの印の場所を勇者に教えてくれるメルキドの神殿のじいさんとの共謀すら疑われてきます。どういう訳か台詞も一部かぶってるし。
*「あめと たいようが あわさるとき
にじのはしが できる
*「ゆくがよい。
そして さがすがよい。
*「ゆうしゃのため いのりましょう。
*「ひかりが そなたと ともに
ありますように…
*「ゆくがよい。
そして さがすがよい。
*「ラダトームの おしろまで
きたに70 にしに40の
そのばしょを!
■おわりに
想像以上にぐだぐだの内容になってしまったので雨雲の杖とその賢者については諦めます。最も取っ掛かりがないのがこいつらのような気がするし……。