■自慢の逸品(二)
自慢の逸品(一)に戻る前回の続き。
■????/道具屋
彼は、ある村の道具屋のオヤジだ。その村には素手で熊を倒したとかいうウソ臭い伝説を持った武闘家のお墓があったりするが、そんなことはどうでもいい。
昼の間、オヤジは当然店に出ているのだが、二つの宝箱を両脇に大事そうに抱えながら仕事をしている。後の悲劇を知っていると、その姿を思い浮かべるだけで涙が浮かんでくるが、いくら頑張っても昼間に泥棒は現れない。
そう、彼が一日の疲れを癒すため床に入った頃、それは起こる。オヤジは店舗兼住居の戸締まりもしっかりとしていたのだが、どこぞの塔に住んでるじいさんが見たという迷惑な夢のせいで、いとも簡単に侵入を許してしまうのだ。そして哀れ、寝息をたてるオヤジの目と鼻の先で宝はあっさり悪の手に落ちることに。
この一連の窃盗行為はドラクエの世界では珍しくも何ともない話だと思われるかもしれないが、実はそこに恐ろしい真実が隠されている。何と、こともあろうに公式ガイドブックにこの盗みを手引きしているとしか思えない文章が載っているのだ。オヤジの窃盗被害は、まさに神によって仕組まれたもの。いくら昼の間に仕事をしながら頑張って宝箱を守ろうと、オヤジには最初からどうすることもできなかったのである。
では、彼が運命に立ち向かい、健気にも守り通そうとした宝は何だったのか。答えは【どくばり】(以下、毒針)だ。かつてはオヤジの住む村で普通に売られていたそうだが、現在この村に存在したのは盗まれたそれただ一つ。まさに幻の逸品だったと言える。因みに、もう一方の宝箱には棍棒が入っているのだが、そんなものを大事に仕舞っていることが自身の悲愴感を助長していることにオヤジは気づいていない。
とまぁ、このようにオヤジの宝は盗まれてしまうのだが、彼の不幸がこれで終わるわけではない。このオヤジの不幸さは、この程度で済む生半可なものじゃないのだ。
さて、幻の武器である毒針だが、誰もが装備できるというわけではない。それだけなら特に驚くこともないのだけど、オヤジの登場する作品の性質上、毒針を装備できる仲間がパーティに存在しているとは限らないのである。
では、もし毒針を装備可能な仲間がいなかったら、どういう展開が予想されるだろうか。そう、装備できないなら売ってしまえと考える冒険者は多いはずだ。そこで問題が発生する。今でこそ、どんな店でもアイテムを売ることが可能になっているが、リメイク版でないこの作品では最悪なことに道具屋でしかアイテムを売ることができないのだ。
つまり何が言いたいかもうお分かりかもしれないが、毒針は道具屋であるオヤジの店で売られる可能性が高いということだ。棍棒だけならまだしも、ずっと大事にしていた幻の品であるはずの毒針までもが盗まれた翌日に自分の店へと売られに来るなんて、嫌がらせにも程がある。
先に紹介したデルコンダルのオヤジもガイアの鎧の他に聖なるナイフを隠し持っているのだが、この両者は似ているようで全然違う。せめてオヤジが営んでいる店が武器屋か防具屋なら、こんなこともなかっただろうに。
しかもまだ終わらない。この後オヤジの不幸に更なる拍車が掛かることになる。この毒針の売値を知っているだろうか。言いたかないが、なんと7G(ゴールド)にしかならないだ。
7Gって、どんな7G? これほどまでに金銭的価値の低い毒針は他の作品を見渡しても存在しない。買値と売値の比率が同じ作品を例に挙げると、5の毒針は300倍以上の値がつくし、比較的安価な4ですら130倍以上の値がつけられている。おっと、いけない。これ以上言うと作品が特定されてしまう。
それにしても7Gって、毒消し草の売値も7Gだ。つまり、毒消し草と同じ価値しかないということだろうか? あのメタルスライムにすら必ず1のダメージを与え、時に即死させることもある毒針が? メタル系なんか全く即死させない7の毒針ですら、売値だけ見ても200倍以上の価値があるのに?? 毒針と毒消し草って両方とも毒がついてるし、なにか開発時に手違いがあったのでは???
*「何これ 棍棒より安いじゃん。
マジ使えねえし。
などという残酷な言葉が今にも聞こえてきそうだ。
■おわりに
じつを言うと、この毒針は幻の品でもなんでもない。後にいけるようになる村で普通に買えるからだ。10Gで。
しかし、オヤジと毒針の名誉のために言うならば、早い段階で入手できることに恐らく意味があって、装備できる仲間さえいれば結構役に立つ武器だと思う。攻撃呪文主体の仲間に通常攻撃の選択肢が加わることでMPの消費を抑えられるし、敵を一撃で倒したときの爽快感は毒針ならではのものがある。あの売値も手違いでなく、冒険の序盤で他の装備品を買うための資金源にされないよう意図的に設定されたものなのだろう。
つまり、あの毒針の価値は値段どおりじゃないということだ。人によっては1000G以上の価値があると感じるだろうし、やっぱり10Gの価値しかないと思う人もいるだろう。そして、これは何も毒針に限ったことでなく、あらゆる物に言えることだと思う。この作品の毒針は、10Gという値段を甘んじて受け入れることによって、物の価値というのは値段だけで決められるものでなく、使う人次第なんだということを教えてくれているのだ。たぶん。